観光ガイドグループ3人でON-LINEの勉強。
コロナで観光客が訪れない中で何をするかというテーマで意見交換をしました。環境が変わると意見も結構出ますね。一番の目的は操作の「確認」・でしたが、これは難なくでき、ホストをやりたいと前向きでした。
ただ問題点もあります。今後の進め方として
1:グループの中で ON-LINE の話をしない。
できない人への配慮からです。
2:ON-LINEは時代の流れですから、操作技術を高めて行く
3:運営方法を研究し、担当として歴史勉強会を開催する。①との整合性がありますが配慮しながら進める。
・・今考えれるのはこんなところでしょうか。時の流れで考えが変わればそれもいいと思っています(笑)
#おんらいん2476
#狛犬
玉島阿賀崎久々井にある荒神社狛犬です。36対ある玉島の狛犬の中でもデザインは独特です。まりを抱いているし、御影石なので尾道型かな。高さは台座から右側(阿形さは台座から右側(阿形)107cm、左吽形109©まります。清鑑ですね。
2月17日 9:00- 玉島市民交流センター 6号室
参加者 菊池、中原、西
課題
1:ネットに接続する
2:ZOOMで接続、画面と音声を調整する
・ホストの西からZOOMの招待状を送る
・菊池、中原はZOOM参加を申請する
・ホスト 西は許可をする
・画面の「確認」、音声の確認ができた
3:これで今日の勉強会は終了 約3時間
今後・STEP-2
・ZOOM立ち上げ、西(ホスト)からZOOM会議案内→日時、議題をメールする
・その時に」、ID、パスワードも送る
・受講者は5分前にZOOMを立ち上げ、参加するをクリック
・ホストは参加許可
STEP-3
・雑談する
STEP-4
・会議する
・資料の提示を行う
まずはここまでを、反復練習する。?
#おんらいん2476
里見川流域調査3回目・・
水は高いところから低いところに流れる。自然の理でだれも疑わない。備前藩は干拓をしたけど水に困り多くの池を作りました。池を作り田んぼに水を引くのですが、水路より高い位置に田があるのに水を入れるために工夫しています。水車もそうでしょうし水路をせき止め田に流す。当然水の争いもあったでしょう。先人の知恵ですね。水利権は今も続いています。
#額に学ぶ
場所 松濤園 作者 柚木久太 千石船
常磐町にある老舗和菓子店の看板商品千石船と書いた額です。柚木久太は柚木玉邨の息子で画家として活躍しました。署名の寫山人は柚木久太のものです。
#額に学ぶ 「幽玄」 月舟宗胡
圓通寺、高方丈入口にあります。月舟宗胡は円通寺開山徳翁良高の師で西来寺開山、2世に徳翁良高」という」関係にあります。この額があるということは、徳翁良高と月舟宗胡の関係を示すものでしょう。資料の大而宗龍伝によりますと、師の月舟宗胡、兄弟弟子に卍山道白師がいます。卍山の額も円通寺にあります。円通寺は西来寺派の牙城であったのではないでしょうか。徳翁良高の下に高僧の名前が続いています。
月舟宗胡出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
月舟宗胡(げっしゅうそうこ、元和4年4月5日(1618年5月28日) - 元禄9年1月10日(1696年2月12日))は、江戸時代前期の曹洞宗の僧。諱は宗胡。字は月舟。号は可憩斎。俗姓は原田氏。肥前国の出身。12歳のとき武雄円応寺の華岳宗芸に師事して参禅。16歳で修行のたびに出て諸寺を遊学し、金沢大乗寺の白峰玄滴に参禅してその法を継いだ。1671年(寛文11年)大乗寺26世となり、曹洞宗の復古運動の先駆けとなった。
#書画に学ぶ 妙心寺官長 看雲室書
山青花欲然 力強い書ですね
山(やま)青(あお)くして花(はな)然(も)えんと欲(ほっ)す
調べてみると、杜甫の五言絶句の一節でした。
杜甫「絶句」(唐詩選)
江碧鳥逾白 江(こう)碧(みどり)にして 鳥(とり)逾(いよいよ)白(しろ)く
山青花欲然 山(やま)青(あお)くして 花(はな)然(も)えんと欲(ほっ)す
今春看又過 今春(こんしゅん)看(ま)のあたり又(ま)た過(す)ぐ
何日是歸年 何(いづ)れの日(ひ)か 是(こ)れ帰年( )
#書画に学ぶ 「慕古」 元永平寺福管主 瑞応寺(新居浜)29世 大玄一光禅師の書です。「もこ」と読むようです。圓通寺本堂にあります。
調べてみると
道元禅師の七言絶句の中に出てきます。
その承句に「釣月耕雲慕古風」があり、慕古があります。禅語としてよく使われているようです。
以下ネットで調べてみると・・・
道元禅師の詩から取られた四字熟語である。
西来祖道 我伝東
釣月耕雲 慕古風
世俗紅塵 飛不到
深山雪夜 草菴中
「永平広録、巻十(山居)」より
水谷候遺徳顕彰碑
開拓当時、新町にあった阿弥陀水門に使用した樋門石を以って碑を建てた。現在、建立場所は里見川水門附近。筆者は柚木久太(玉鳥の人、洋画の大家)
昭和二十七年四月水谷侯遺徳顕彰会建立
副碑
今を去る三百年の昔、備中松山の城主水谷伊勢守勝隆侯が瀬戸の海に点在していた乙島と柏島とを結んで一大干拓事業を計画、玉島港の築港に着手し長い年月と多額の経費を投じて漸く其子勝宗侯の代になって此大事業は見事完成したのであります。それから年変り星移て現在に見るような西は鴨方金光から東は船穂に至る数百町歩の干拓地は黄金稔る沃野と化し出船に入船に隆々と躍進しつつある今日の港玉島を生んだのであります。此の故人の偉業の雄大さに驚嘆するとともに其恩徳を永遠に伝えるため此度の市制実施を記念し偉業を偲ぶ当時の樋門石を以って水谷侯遺徳顕彰の碑を弦に建立したる次第であります。
昭和二十七年五月十五日
(石碑では平かなの部分がカタカナです)
水谷侯遺徳顕彰会
柚木久太 ゆのき ひさた 洋画家。岡山県生。父は南画家の柚木玉邨。写山人と号す。満谷国四郎・中村不折に学び、渡仏してジャン・ポール・ローランスに師事する。帰国後は文展・帝展に活躍、帝展委員・審査員などをつとめる。また和田三造らと新世紀美術協会を創立、洋画界の発展に尽力した。昭和45年(1970)歿、85才。
圓通寺涅槃図 備中玉島円通寺・第5世梅橋素雪和尚
肥前の人 円通寺(1740)頃 調整
また今年も涅槃図をかける季節になりました。円通寺の涅槃図は大きなものです。一度は見ておくといいでしょう。