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敗戦は敗北に非ず

 投稿者:佐藤 博  投稿日:2016年 3月 7日(月)08時17分58秒 FL1-119-241-211-175.stm.mesh.ad.jp
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   日本宣教を妨げているものという命題に関し、体験的に知り得た情報から拝察すれば、それは間違いなく「進化論と自虐史観」という思想であると言わざるを得ません。これらの思想による二重金縛りが敵の戦略であり、本当の原因です。これは思想戦でもあり、神学的方法論でどうにか出来るような類いの話しではありません。
 進化論への共闘は、創造信仰に立脚するクリスチャンでなければなりません。アメリカ人であろうと中国人であろうと、地上の国籍は問題ではありません。しかし自虐史観と戦う為の味方は、絶対に日本人でなければなりません。出来ればクリスチャンであるにこした方が良いのは勿論ですが、無国籍の天国人ではかえって足手まといになるだけです。殊は日本宣教です。ですからその吟味内容は、自分にとっての日本が「only one」であるか、はたまた「one of them」かを自問してみればいいのです。
信仰者であれば本当の敵がサタンであることは、頭ではみな分かっています。処が実際は、さっぱりなのです。何故なら進化論と自虐史観という敵の二大「戦略」に対し、信仰者の多くが「戦術」で立ち向かおうとしているからです。例えば、福音宣教には弟子訓練という神学教育しかないというような早とちりです。これでは、空を打つような拳闘にしかなりません(Ⅰコリント9:26)。
戦争には目的があり、また法則性というものもあります。戦略はstrategyであり、戦術はtacticsです。その為の作戦がoperationです。漢字による表記では似たような印象を持ってしまうのですが、別物です。夫々に階層的な違いもあります。たとい戦術面で全ての戦闘場面に勝利を収めたとしても、戦略面でひとつ失敗すれば、結局は敗北しかないのです。
人間は法則を変えることが出来ません。その辺りの戦争理解が日本人のクリスチャン達には殆んどありません。その結果が目的倒錯です。つまり何の為の戦いなのかということが、長期戦になると途中で訳が分からなくなってしまうのです。旧日本軍の作戦参謀達が好例です。
現在日本の大学で戦争学の講座があるのは、防衛大学しかありません。日本人のクリスチャン達が霊的戦いを戦う為には、まずは地上に於ける戦争論の学びが必要なのかもしれません。戦争とは何かということを知らなければ、戦いようがないからです。戦争と言えば、反対としか答えることが出来ないようでは小学生のレベルです。
また戦争という題目を考えるに際し、決してやってはならない判断というものがあります。それは善悪という基準を持ち込むことです。戦争というものを道徳のカテゴリーに俎上させるのは的外れだからです(創世記2:16)。戦争論を学ぶことが戦争に繋がりかねないとか、自衛隊があるから戦争になるなどといった戯れ言は、消防署があるから火事になる、というのと同じ論理であることも知らなければなりません。平和を作ろうとする者達こそ、逆に戦争というものの仕組みと構造を知らなければならないのです。何故ならば、この霊的な戦いには休戦や調停工作というような選択肢は有り得ないからです。しかし困ったことに、多くの日本人は戦術よりも戦略という言葉が好きで使っているだけではないかと思われる節があるということです。その為か、戦略の本質的な意味が未だによく分からないのです。
経営戦略などという文言も、多くの場合は経営戦術でしかありません。知らないにも拘らず、知っているつもりの人々に正しく知ってもらおうとすることくらい、難儀なことはありません(Ⅰコリント8:2)。「何とかの為の一戦略」といった慣用的レトリックは、おおよそ日本人好みの表記にしか過ぎないのです。殆んどの場合その実態は、戦術のことでしかないのですから要注意です。題目を鵜呑みにしてはなりません。土台、「一」戦略という表現自体が語義矛盾です。戦略というものはそんなに沢山あるものではないのです(ルカ10:38-42)。
戦略とは戦争目的の次に位置するものです。その次が戦術です。tactics は通常単数形の扱いですが、やはりone of themでしかないのです。日本人の国民性をして細部にこだわろうとする余り、大局的な戦略面を見失いがちになるのかもしれません。
広辞苑によれば、戦略とは『戦術より広範な作戦計画であり、各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法』…とのことです。また戦術とは『戦闘実行上の方策であり、一個の戦闘における戦闘力の使用法』…という解説です。換言すれば、戦略とは『何の為』の戦いなのかを常に意識させようとする或る種の目的論のことであり、戦術はそれをどのように実現し遂行させるべきかを問う、勝つ『為にする』起成論なのです(ヨハネ3:1-12)。
そういう観点からすれば、先の大戦は日本の勝利ということになってしまいそうです。
好きで始めた戦争ではありませんが、日本の國体護持と大東亜の植民地解放という二つの目的だけは共に達成したからです。支払った代償が余りにも大き過ぎたので、日本人は敗北したと思い込んでしまったのです。
以上のことから推察すれば、イエス・キリストの死は敗北なのでしょうか…(イザヤ53:1-12、Ⅰコリント15:50-58)。断じて否です。そのような理解の仕方は、不信者の考え方です。まともなクリスチャンであれば、そうは考えない筈です。
イエス・キリストは父なる神の御心を満足させ(イザヤ53:10)、人間を罪の奴隷と死の恐怖から解放し(ローマ8:2-4)、悪魔の仕業を打ち砕かれました(Ⅰヨハネ3:8)。
全ての目的を達成したのちに、『完了した』と息を引き取られたのです(ヨハネ19:28-30)。支払った代償が余りにも大き過ぎたので、当時の弟子達も、サタンでさえ勘違いしてしまったのです。
私の目には日本の姿とイエス・キリストの姿が一瞬、二重映しに見えてしまう時があります。ユダヤ教のユダヤ人達が、イザヤ書の53章を読んで「苦難のしもべ」とは自分達イスラエル民族のことであると勘違いしてしまうのも、心情的には分かるような気がします(使徒8:26-34)。
日本は先の大戦に於いて、至る処で戦略を間違えました。今でさえ何の為にあのような大戦争をやらかしたのかと思っている日本人は、少なくありません。日本は常に多勢に無勢であるにもかかわらず、矢弾尽き果て、ボロボロになるまで戦術面ではよく健闘したと思います。否、ボロボロに成ってからも尚、戦いを止めようとはしませんでした。
天佑神助にも支えられ、目的だけは立派に完遂したということを、善悪を交えないで、日本人であるクリスチャン達こそ冷静に評価すべき時ではないでしょうか…。
戦争の本質とは勝敗だけを云々するものではありません。目的の必達こそが本当の勝利であるということの聖書的アナロジーを、ここに再確認したいと思うのです。
我々日本人のクリスチャン達がとくに知らなければならないことは、戦術でしかないものをさも戦略であるかの如く誤解させ、信じ込ませようとする策略こそが、実は敵の最終的なカウンター戦略であるということの意味です。これをもって、日本人のクリスチャン達の目と心を騙しおおせるか否かが、…敵の最期だからです。紛れもなく、これこそが思想戦です。我々は、誰にも騙されてはなりません(Ⅰコリント5:11-13)。…アーメン
 
 
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